2012年10月21日

県の既定方針を再確認しただけの「基本計画策定委員会」 ― 県民の声を反映するプロセスは一切なし。

 2008年7月から2009年1月に「新県立美術館基本計画策定委員会」による会議が行われ、新美術館の目的、基本方針などが決められ、報告書の基本計画を反映した美術館を建設するよう、県教育委員会が再開発組合などに要望するという手続きが取られた。この会議は、会長が、秋田公立美術工芸短期大学の学長で、副会長が秋田県立近代美術館の館長。そのほか県によって人選された、大学教授、画家などで構成されていた。この会議は、県の既定の方針通りに進められた、アリバイ作りのものであったことがその後分かっている。2008年7月の第一回委員会で望ましい建築家が議論され、「一流の人」、「新進の若い人」など、多くの意見が出たのに関わらず、8月の第二回委員会では、当時の寺田知事が安藤忠雄氏の了承を得たことが報告された。これには異論が出たが、県は「『組合が十分検討して安藤氏としたのにノーと言うのは理解できない』『知事も4者協議(注、県、市、再開発組合、商工会議所)の関係者も安藤氏を歓迎している』と強硬に主張。建物や建築家についての委員の意見を『ここはそういったことを決める場ではない』と遮った」(毎日新聞、2010年3月11日)と言う。安藤忠雄氏が県の既定の方針であったことは疑いがないようだ。再開発組合(当時は、再開発準備組合)が安藤忠雄氏を提案し、県に伝えたという形をとっているが、県は2009年2月設立の再開発組合の組合員であり、ゼネコンとともに主要な構成員である。
 また、この委員会で決められた基本方針は ▷平野コレクションの藤田嗣治作品による文化の創造 ▷芸術を身近に楽しみながら交流できる場の提供 ▷新しい街の文化のシンボルとして秋田の文化力を発信、である。そのまま、今の県のウェブページに見られる言葉である。これも既定の方針、筋書きであったようだ。
 現在の県立美術館(平野政吉美術館)の文化的価値を深く考えることもせず、県民の声を聞き、反映するプロセスがないまま、新たなハコモノを作るという県の筋書き通りに進められた新県立美術館の建設であった。









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2012年10月3日

実施されなかった耐震検査 ― 客観的理由が見当たらない現県立美術館(平野政吉美術館)の移転

 県が財団法人平野政吉美術館(当時)に移転要請をした時、美術館側が耐震検査を実施して、改修の必要性を示すよう求めたのに対し、県側は「県は今日的社会的要請に応えた新しい美術館を建てることを構想しているのであり耐震診断結果の必要性や費用によって構想が変わるものではない」(平成20年3月28日、週刊アキタ)と回答し、結局、耐震検査に応じなかったとのことである。今日的社会的要請とは何であるのか。誰の要請だったのか。少なくても県民の要請ではない。当時、地元紙の読者欄に寄せられた意見では8割以上が、移転に反対するものであった。耐震検査は一切せず、何が何でも移転新築しなければならない理由はどこにあったのか。
 また、県はウェブページで、新県立美術館について、「芸術に親しみ交流できる場の提供」と謳っているが、「芸術に親しみ交流できる場」として、現在の県立美術館(平野政吉美術館)を使用することは十分に可能なことだ。もし、出来ないと言うのならその理由は何なのか聞きたいものだ。
 新しい美術館を建設しなければならなかった客観的理由は、結局見当たらない。



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